『壁越しではなく、垣根越しに』大倉 信 師
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『壁越しではなく、垣根越しに』大倉 信 師

2021年3月21日(日)


メキシコとの国境に行きますとそこには高い壁が建っています。その壁はとても高いもので、こちらからあちらをうかがうことができません。中にはその壁の上に痛々しい針金が巻いてあるところもあります。なぜなら、私達は観光に来ているわけではなく、向こう側を見る必要はありませんし、何よりもその壁は互いに行き来ができないようにという目的のために、そこに建てられているからです。

私の住んでいる家とお隣の家の間には、いわゆる塀というものはなく、腰ほどまでの垣根で互いが隔たれています。ですから、お隣が日向ぼっこしたり、芝を刈っている姿が見えます。そんな間柄ですから、私は時々、庭で垣根越しにお隣さんと会話をすることがあります。その時、私達は互いに顔の表情を見ながら、しかし、垣根が互いの間にあるので互いの土地に入ることなく、話すことができます。そして、必要であればしかるべき入り口を使って、互いの了承のもとに垣根を越えて行きして、いつでも隣同士、助け合うことができるのです。

私達は互いを大切にするために、リスペクトするために境界(バウンデリー)が必要です。しかし、それはそびえたつ壁なのではなく、垣根なのです。



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