『こうして教会は(17): 湧き上がる喜び』大倉 信 師
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『こうして教会は(17): 湧き上がる喜び』大倉 信 師


2019年10月27日(日)

昔、日本には「ドブ」というものがありました。最近、このドブにはフタが置かれ、目にすることがなくなりました。しかし、当時はまだいたるところにドブがありました。私も目を閉じれば、あのドブ、このドブと目に浮かびます。小さい頃はそんなドブまでもが私の遊び場で、よくドブの中をよくのぞき込みました。そこには無数のボウフラがおり、糸のように細い、赤いイトミミズが泥の中から半分を身を乗り出して、ユラユラと揺れていました。

時々、町内会ではそのドブを掃除しました。底にたまった泥がドブの側溝に出されるのです。これ、昭和の風景ですよね。その時の匂いときたら、これは悪臭です。「ヘドロ」という言葉はもう死語かもしれませんが、「ヘドロ」と聞けば、私はあのドブの泥の匂いを思い出します。

私は今でも覚えています。幼いころ、そんな泥が底にたまっている、町のはずれのため池一面に蓮の花が咲き乱れていたのを。その蓮の花の美しさときたらため息が出ます。・・・しかし、その根は誰もみたくない暗黒の泥の中にあるのです。

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