『人生という冒険のただ中にある方々へ』大倉 信 師
top of page

『人生という冒険のただ中にある方々へ』大倉 信 師


2017年12月24日

「アドベンチャー」は「アドベント」が語源となっていると言われていますが、これらのことを思いますときに、実際にヨセフとマリア、そして幼子イエスを取り巻く世界は、のんびりと平安に包まれているような私たちが普段、見慣れているクリスマスカードのような環境ではなかったように思われます。まさしく、そこには彼らを飲み込もうとする闇の力が彼らをおおい、そこから逃れるために、まさしく綱渡りのようにして、彼らは命がけの冒険をしたのです。

神がイエスの人生を託した親として選んだカップルは、まだ年若く、社会的には何の力もないヨセフとマリアであり、その誕生の場所として選ばれたのは小さな寒村、ベツレヘム、わが子の出産と引き代えにその命を失った母の涙と無念が今も残る村、貧困にあえぎ、出稼ぎに行き、そのところで夫と息子を亡くした女性達が落穂を拾いながら生きた村でした。明らかに人として、リーダーとしてバランスを欠いた狂気を宿す王のもとに、その彼の面子のためにもみくちゃにされながら、イエス・キリストは人として一番無防備な赤ん坊としてこの世に誕生したのです。

これらのことは何を物語っているのでしょうか。

これらのことは私達が生きている、この地上の冒険に自らも身を置き、そこに自らも冒険者として生きるイエス・キリストの覚悟です。このご自身の出生についてイエス様は何も語ってはいませんが、この出生そのものが、私達に対する大切なメッセージなのです。

●メッセージ音声

bottom of page