『痛恨の失敗、されど・・・』大倉 信 師

2021年1月24日(日)


今日はモーセの痛恨の失敗を見ていきたいと思います。モーセにとりまして、自分の失敗が後世の者に読まれるということは不名誉なことでありましょう。しかし、聖書は包み隠さずに、彼の失敗を記録しました。なぜ?私達がこのことを深く心にとめ、モーセと同じ轍を踏まぬためにです。

私達の心身のプレッシャーやストレスを考えるならば、働き盛りの時、仕事や子育てに追われている時は私達の感情も上下に揺れ動き、誘惑の力が大きくはたらく時かもしれません。かといって、これらのプレッシャーを通過すれば安泰かというと、決してそうではなく、残念なことですが「晩節を汚す」という言葉がありますように、その晩年、既にゴールのテープが見える直前に私達はとんでもないことをしかねない者なのです。

そんな私達が今、できることは何でしょうか。夕暮れの空の装いは、昼間の明るさが刻一刻と変化したものです。人生の黄昏は、それに先立つ真昼の時からその特徴を帯びていきます。今から私達は主への感謝と喜びを常として、ひたすら謙虚に、神を畏れ、与えられている日々を大切に、