『「乳飲子」として生まれる意味』大倉 信 師
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『「乳飲子」として生まれる意味』大倉 信 師

2020年12月13日(日)


クリスマスの主役は2000年来変わらずに「飼葉桶に寝かされているイエス・キリスト」です。主役と言いましても、その時のイエス様は一言も言葉を発することができない乳飲み子です。彼は話すことも、立ち上がり、歩くこともできないのです。 この乳飲み子から、2020年、コロナ下に置かれた私達が受け止めることができるメッセージがあるのでしょうか。 今でこそ私達は年齢を重ねましたが、かつては誰しもが乳飲み子でした。私も皆さんもかつては母の腕に抱かれた乳飲み子だったのです。その名の通り、私達は抱かれ、乳を口に含ませてもらうことにより生きながらえ、成長してきたのです。 特別な理由や有名人でない限り、成人した私達の周りに人だかりができることはありません。しかし、無名の乳飲み子の周りに人だかりができることを私達は見ることがあります。そう、皆がその乳飲み子のもとにやってきて、すやすや眠る子を眺めるのです。その子は言葉を話せない、自分で立ち上がることもできないのに、その回りに人を集める力をもっています。私達はその安らかな寝顔にひきつけられているのかもしれません。乳飲み子はなぜスヤスヤと眠ることができるのでしょう・・・。





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