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『こうして教会は(10):食卓を囲む意義』大倉 信 師


2019年9月1日(日)

かつて一人で島暮らしをしていました時、私の夕食は10分で終わっていました。当時の私の得意料理は「納豆」と「卵ご飯」、そして、「肉野菜炒め」でした。

納豆はあの白いプラスチックカップのまま食卓に並び、肉野菜炒めも、盛りつけなど考えることなくただ皿にのせられ、味つけも醤油だけでした。なぜ10分かといいますと、私が早食いであることと、食べる目的がどちらかというとエネルギー補給に近かったから、ただ口に放り込んでいただけだからです。

今、そんな日々を振り返って思うのです。食事を単なるエネルギー補給としか考えていないと、だんだん心の豊かさが失われていくと。このことは一人で食べる食事であっても改善できることだったなと今は思います。今、食事は極めて精神的なものなのだということに気がつかされています。

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