top of page

『アモス:今もここにある飢饉』大倉 信 師


2017年4月23日​​

私がカリフォルニアに来ました19年前、日本のスーパーに行きますとそこに置かれていた日本語の無料雑誌を全て家に持って帰り、隅々まで読みました。きっと日本語に飢えていたのでしょう。しかし、思い返せば今は当時のような日本語に対する飢え乾きはなくなりました。

なぜならその後、インターネットの普及により、外国にいながら私達はいくらでも日本語に触れることができるからです。そうです、インターネットには言葉が満ち溢れており、こちらも口を通して入る食物と同じように、制限をつけないと溢れんばかりの情報で混乱してしまいそうです。そして、これだけ言葉が出回りますと、言葉の価値が失われてきているように感じるのです。

しかし、聖書の言葉は今日もその価値を失うことはありません。失うどころかこの言葉によって今日も世界で無数の人たちがその言葉の中に真(まこと)を見出しているのです。

bottom of page