受肉、割礼、そして洗礼 - Incarnation, Circumcision, and Baptism

7/24/2022


神に喜ばれる教会(8):受肉、割礼、そして洗礼』大倉信師

A Church Pleasing to God (8): Incarnation, Circumcision, and Baptism

by Pastor Makoto Okura



イエス・キリストの誕生を神学的な言葉で「受肉」と呼びます。神なるイエスが人の肉体をとられて生まれたということです。イエス様は私達が生まれた時と同じように、この地に全く無防備な姿で身を横たえ、自分の命をつなぐ全てのケアーを完全に他者に委ねるというところから、その生涯を始め、人に命の息を吹き込まれたお方が、私達と同じ肺機能を用いて呼吸をする肉体を有するようになられました。そうです、この受肉にはイエス様が「人間と全く等しく、病死を宿命とする肉体をもった」という意味があります。

「割礼」は神が求め、ユダヤ民族の間でなされていた生後8日目の男子の性器の皮を切る儀式です。イエス様は親であり、ユダヤ人であったヨセフとマリアの信仰によって割礼を受けました。私達のアイデンティテイが私達の民族性と結びついていますように、イエス・キリストのアイデンティーはこの時、ユダヤ民族と結びついたのです。そして、何よりも大きなことは、イエス様が割礼を受けたということは、神がユダヤ民族に与えた律法の下に自らを置いたということなのです。

もしイエス様がこの地に誕生せず、割礼を受けずに「神の立場」を保っていたとするのなら、死も苦しみもイエス様に近寄ることはできなかったでしょう。しかし、イエス様は私達と同じように、死と苦しみに近づくのみならず、私達のために、それを自ら負う者となられました。

イエス様は公けにその宣教を始める前にバプテスマのヨハネから「洗礼」を受けられました。躊躇するヨハネに「全て正しいことを成就をすることはふさわしい」と言われました。「成就」とは「前に言われていたことが実現する」ということです。このイエス様の言葉は、この時からさかのぼること750年も昔に、預言者イザヤが書き残したこのイエス・キリストに関する預言の成就でした。『これは彼が死にいたるまで、自分の魂を注ぎだし、とが(罪)ある者と共に数えられたからである』(イザヤ53章12節)。

受肉、割礼、洗礼から導かれる神のメッセージは何なのでしょうか。


 

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