2021年5月2日(日)
ある映画監督が言いました「人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするな」。
サンディエゴ・パドレスのゲームを観ている私の姿を見て、家族は笑います。スクリーンに向かって私が声をあげるからです。どんな時に私は声を上げるのでしょうか。「なんで、そこで見送るの!どうせアウトになるのなら、思いきり振って、三振しようよ!」バッターとして一番悔しいのは空振り三振をすることではなく、見送り三振をすることだと私は思うのです。
自分で選んだのではない、神に愛され与えられた人生、その人生の道すがらも私達に注がれる神の愛、そして、その人生の最後、もろ手をあげて私達の帰りを待っていてくださる神の愛、人生のバッターボックスに立っている私達がもし、このことを知っているのなら、主にある兄弟姉妹、見送りの三振だけはやめようではありませんか。このご愛に思いきり応えるべく、打席に立ち続けようではありませんか。
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