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『その時、遺す言葉がありますか』大倉 信 師

2021年1月31日(日)


コロナになり、家にいることが多くなりました。室内にいると息が詰まりますので、時々、外に出て草木や鳥を眺めるようになりました。時に主は聖書の言葉を通してお語りくださいますが、神が造られた被造物を通しても大切なことを教えてくれます。

自然界を見ています時に気がつかされます。それは自然界の諸々の生き物たちは自分に降りかかることを、そのまま受け入れているということです。生まれ落ちる事、生きる事、傷を受ける事、死ぬこと、すなわち、その最期がきましたら、彼らは抗うことなく、その最期を受け止め、大地に身を横たえ、次の命に全てを託して、土にかえっていくのです。

自然界の生き物の死がそのまま人間に当てはまることはないでしょう。人間は動植物とは異なり、豊かに、長く生きるためにできる限りのことをします。そのために私達は働き、心身のために最善を尽くします。それは私達にとりまして、とても大切なことです。

しかし一方で、これらの生き物たちの生き方に惹かれる自分がいます。神の御手の中で生を受け、神の御手の中でその生を精一杯生き、時が来たら、静かに目を閉じ、私達の魂をそっと、あちらの世界に置かせていただく。そこには神から命をいただいたものと神との静かな、そして厳かな信頼関係があります・・・。



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